掛川倖太郎さんの物語
"勉強をあきらめなかった" というのが
今の自分にとってプラスにはたらいています。
[キーワード] 中腸軸捻転、残存小腸17cm、中心静脈栄養、学校生活、旅行、カテーテル感染症、就労
出生直後に中腸軸捻転と診断された掛川 倖太郎さんは、小腸を摘出して残存小腸17cmの短腸症候群となりました。自宅で中心静脈栄養(TPN)治療を行いながら通った学校生活やカテーテル感染症との闘い、ご家族の支えの中での自立などについてお話しいただきました。
出生直後に中腸軸捻転と診断され、小腸摘出
生まれてミルクを飲み始めたけれども、頻繁に吐いてしまう。
検査をした結果、中腸軸捻転という診断がおりて、残存17cmを残して小腸を摘出し、短腸症候群になりました。
小さい頃は、2歳半ばぐらいまで病院にいたということを、両親から聞いています。
結構はしゃぐぐらいの年齢だったので、ただ病院だと発散できないため、常にフラストレーションがたまっていて、夜も眠りにくくて。
床頭台の下で、細々と本を読んでいたことが、入院していた小さい頃の一番根強い記憶として残っています。
退院し、自宅での中心静脈栄養(TPN)治療が始まる
入院期間が終わって、自宅に戻って、そこから10年以上は、母が自宅で(TPNの投与を)担当してくれました。
小さい頃も、昼間は点滴をロックして、夜につけるという形だったので、学校生活や、昼間にイベントに行くなどのことは、普通にできていました。
やんちゃだったので、鉄棒とかをやっているときに、どこかで、点滴の管を引っ張って、抜けてしまうんじゃないかと、たぶん、両親としては、1分も気を抜けなかったのかもしれないです。
家族で温泉旅行に行ったときに、点滴の物品を1つ忘れてしまい、1日(TPNを)やらなかったときがありましたが、そのときは ひと晩(TPNを)やらなかっただけで、身体に力がはいらなくて。
そこで初めて、点滴がないと生きられないんだな、という恐怖が(芽生え)。
大事なんだなというのを改めて感じました。
感染症との闘い
(入院の原因は)9割以上カテーテル感染症ですね。
感染をおこさないようにということを、すごい気をつかってやっていてくれたんですけれども、何でか分からないんですが、感染になってしまう。
ずっと小学校のころから、感染になれば2週間入院して、3日から1週間くらいあけて登校、という感じになっていました。
感染になってしまうと、前日までは(調子が)良かったのに、次の日、点滴を付けて1時間もしないうちに、熱が40℃まで上がってしまうという、特徴的な熱の出方があるので。
その場合は、緊急外来をすぐ受診して。
入院して、そのたびに、どこか落ち込んでいる母を見たりとか、看護師さんに「お母さんのせいじゃないよ」といわれているのを、ちらっと見たことはありました。
悔しかった記憶
高校3年生になった途端に、体調がすごく不安定になってしまい、感染もすごく頻繁になってしまって、出席日数がたりなくなって。
(授業で当てても)答えられないのは、先生もわかっているから、(自分に当てずに)次に行くんですけれども。
いままでちゃんと勉強していて、やれば答えられた質問も答えられなかったというのは、本当にもう、机の下で握りこぶしをギュッとやって。
すごい悔しかったのは本当に覚えています。
家族の支えと自立
大学生になってから、自分で点滴を管理させてもらえるようになりました。
離脱まではいかなくても、"自分で点滴を管理する" というところが、1つ大学時代の転機だったと思います。
自分としても、親の時間を奪っているという印象がすごく強く残っていたので、親にも、やっぱり自分の人生を生きて欲しいですし、楽しいこともやってもらいたいし、弟や妹の為にも、もっと動いてもらいたかったりするので。
CVを結構頻繁に入れ替えをしていたので、主要6本の血管が全部閉塞している状態で。
今、心臓に直接CVが入っているんですが、TPNの存在は、もろ刃の剣だと思っています。
短腸症候群という病気でありながら、心臓の方も患ってしまうことになりかねない。 それでも、依存しないと生きていかれない。
すごい矛盾が入り混じるものなんですけれども、うまくコントロールが、どこまでできるかが、1つのポイントかと思いますし。
小学校の頃から、何度か(TPNを)離脱する治療を行っていたことがありました。
今まで4回あったと思います。
離脱ができたら、いろんなところに行って、いろんなことをしたい性分なので、学生の頃にできなかったスポーツだとか、外国に行ってみたいとか、外に外に、自分の世界を広げていきたい、というのはすごく感じます。
SBS患者さんへのメッセージ
今、考えているのは、同じ病気を持っている患者さん本人やご家族に何かしら、支援という大々的なものではないですけれども、そういう人たちの何かきっかけになることが、できればと思っています。
自分も何人か、同じ病気の小さい子たちを見てきて。小さいといっても、中学高校生だったりもしますが、進学や勉強をあきらめてしまったり、できなくなってしまっている子たちがいると聞いています。
小学校・中学校の事務として、今、働いています。
自分の場合ですが、勉強をあきらめなかった、というのが、今の自分にとってプラスにはたらいています。
諦めてほしくない、いつか自立してやる、という気落ちを持っていてほしいと強く思います。
SBS治療の将来に対する期待
自分が生まれるほぼ30年前と比べると、かなり物品も進化してきたり、さまざまな治療法がわかってきて、すごくありがたいと思っています。
外科的な治療法にしてもそうですけれども、対症療法ではなく、根本治療の方に目を向けてくれると、長期的に患者たちが頑張る方向が、見えてくるのかなと思います。
その人たちが、その人らしく生きられるように、生きられるだけじゃなくて、もっと生活ができるように、治療の面でも、生活の面でも、家族の方と本人の意向も重視して、やっていただけると大変ありがたいなと思います。